この記事は、私が尊敬しているジャーナリスト佐々木俊尚さんの
最近の発信内容にインスピレーションを得て記載しています。
『140字の戦争 SNSが戦場を変えた』by デイヴィッド ・パトリカラコス
これは本の名前でして、佐々木さんの話はここから始まります。
Twitter上で共感を奪い合うことが
起きているということを解説した本です。
著者は中東専門ジャーナリストの
デイヴィッド ・パトリカラコス。
日本人全般に共通して言えることとして、
イスラエルは地理的にも遠くなかなか直感で
イメージがわきにくいかもしれませんが
話は2014年のイスラエル軍によるガザ侵攻から始まります。
初戦でイスラエル軍はガザ地区を空爆し、
圧倒的な軍事力を見せつけたのです。
しかしTwitterでは別の話題に注目が集まりました。
ガザの人たちによる「イスラエルの空爆で子供が死んでいる」という発信です。
これがために、イスラエルは「国際社会の目に悪魔のように映ってしまった」
と著者は指摘しています。
事実が何なのか、おそらくそこにいる当事者は把握できていても
ネットを介して見ている私たちにその正確な判断はできません。
この話・・・戦場そのものでの衝突というより
SNSの世界でどちらの物語が「戦場外」で多くの支持を得るか
という戦いが重要になってきていると言うのですね。
著者は戦争の定義が変わりつつあるのだと主張しています。
これで考えさせられたのは・・・
進行中の米中間の関税報復による経済戦争、
あるいは日韓の(日本人の視点からは)
元徴用工裁判をきっかけに拡大している諸問題
政府間の話とは別に、一般人である私たちは
新聞よりもテレビよりもむしろ
SNSやニュースアプリなどからリアルタイムに
情勢を追い、激しく感情を揺さぶられています。
ところで同書では、「新しい戦争」で最も成功するのは
戦闘を回避し、住民を政治的に支配することで
領土を支配する能力に最も長けた者である、
とのイギリスの政治学者の言葉を紹介しています。
実際にその事例として、プーチン大統領率いる
2014年のクリミア併合を紹介しておりとても興味深い。
ロシアは表立ってはクリミア半島に軍隊を送り込んでいません。
宣戦布告せず、軍隊の存在も認めず、
戦争しているとは一言もロシアは認めませんでした。
そのように振る舞い「平和以上、戦争未満」という
グレーゾーンの戦いを慎重のうえにも慎重に実行しました。
クリミアにいるウクライナ東部の住民に
「ウクライナ政府があなたたちを迫害しており、
唯一の救いの綱はロシア政府とその代理人だ」
という物語を信じさせることに成功したと紹介されています。
つまり正式な戦争をしていないのに、戦争に勝利した状態。
因みにクリミア併合は西側諸国にとっては許しがたい問題ですが
ロシアにとっては歓迎すべきことで『プーチン、よくやった!』
と思われているようです。
これの是非をここで問いかけているのではなく
事実以上に物語の信憑性が人々の心に浸透する
力を持っていることなのです。
そのトリガーはSNS。
SNSによって変わったのです。
今や国ごとの壁が取り払われ、同時にマスメディアによる
フィルターの壁という壁も取り払われて、
物語同士がダイレクトにぶつかり合う構図に変化したのだと
著者は主張しています。
そうなると何が勝利するのでしょうか?
「どちらの物語が勝つのか」というメディア空間の戦いになり
そこではネットに繋がっている者は誰でも戦争の当事者になりえる
ということです。
今の日韓問題を思い浮かべるだけで、
確かにそうかもと思う次第です。
SNSが破壊する3つの秩序
著者はSNSは、時間・空間・方法の3つにおいて
古い秩序を破壊しているのだと指摘しています。
時間:情報戦は戦闘行為のずっと前から始まり、作戦後も長く続く。
空間:戦場以外の人々にも影響を及ぼし、戦況を見守る国際社会の人々に訴える。
方法:軍事活動が情報活動の一環となり、特定の軍事的成果よりも政治的成果を求めるようになっている。
つまり私たちは事実よりも物語を重視する
世界に生きているということ。
これってどう思います?
SNSが登場する前と今との違いを思い浮かべてみてください。
かつては情報の一次提供者がもたらす内容を
『ふ~ん、そうなのか』
と他人の干渉や意見に左右されずに
自分なりに眺めていたと思います。
しかし今は違いますね。
何が本当なのか、それさえもSNSに紛れ込む
無数のあいまいな情報により判断することが難しい。
だからこそと言えますが、そこに一貫性をもった
物語が存在しているとそれを疑いなく受け入れる
傾向が強いのではないかと思うのです。
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ネットで活動する私たちはPost-Truth(ポスト・トゥルース)を知る
ポスト・トゥルースとは、客観的事実よりも
事実かどうか別にして個人の感情に訴える
ものの方が強い影響力を持つ状況のことです。
いわば事実を軽視する社会と
言っておかしくありません。
オックスフォード英語辞典で
「2016 Word Of The Year」として
Post-Truthを選んでいます。
私たちはとにかく物語に呑み込まれやすい。
『140字の戦争 SNSが戦場を変えた』では、
ヒトラーが子供のころに溺れかけ、それを
聖職者が助けたという逸話があったことを紹介しています。
こういうのを当時の人々が聞くと
どのように受け止めるだろうか?
ということです。
振りかえって今の私たちを考えてみます。
ネットでの情報発信、商品販売などを通じて
物語がいかに強いかを知っている人は多いと思います。
だからこそと言いますか、私は
物語の使い方を自覚する必要があると考えています。
物語はSNSと相性もよく、ほんの些細な言い方次第で
情報発信者の意図を超えたり、外れた理解を
されることがままあるものです。
ポスト・トゥルースの時代ではあるけども
しかし事実理解が原点であり、
議論の出発点であるという考え方で
私は通していきたいと常々思っております。