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AIが「五感」を手にすると「現実」とはなにかという哲学を引っ張り出すワケ

ネットで活動を始めたのは最初はガラケーアフィリの副業でして、
はるか昔のインターネット黎明期からですが、それはそれとして
私はたくさんの仲間と「普通の会社」で働く仕事も腐れ縁みたいに続いています。

その「普通の会社」で長いこと関わっている仕事のひとつがなぜか「AI」

私が関わっている分野は「組込み系」と呼ばれる機器の中に埋め込まれるほうで、
一番わかりやすいイメージではロボットですね。
人型ではなく工場の中にあるメカメカしたロボット。

生成AIが2022年からヒットして一般の人に知られるようになりビックリですが、
その後たった1年半かそこらでAIは驚くべき、階段状の飛躍を遂げながら進化中です。

AIのアルゴリズムは今ではマグニフィセントセブンや様々な研究機関の仕事であり、
私が関わっている仕事もそれらのアルゴリズムを利用する立場であり、
巷で「AIを使ったビジネスをしている」企業の99%はどんぐりの背比べに過ぎません。

このような進化が激しすぎる技術は私の知る限りAI以外にありません。
当ブログでも何度か述べていますが、AIは自分で自分を超えようとする性質があるためです。

人は眠らないと生きていけませんが、AIは眠らず自分を超越する作業を
24時間進められますので、それだけでもどんどん賢くなるのも頷けるかと。

さてそのAIでのシステム開発に深くハマっていると、たまに
コイツ(=AI)は一体何を現実として見ているのだろうか
という擬人化した思いについつい囚われてしまうことがあります。

この記事では、その
「現実」とはなにか?
から入ってみたいと思います。

マトリックスの世界が「当たり前」に思えてヤバイ

1999年に公開された映画マトリックスをご存じでしょうか?
基本は3部作(トリロジー)で、1作目の「マトリックス」

マトリックス
マトリックス

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2作目は「マトリックス リローディッド」

マトリックス リローディッド
マトリックス リローディッド

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3作目が「マトリックス レボリューションズ」

マトリックス レボリューションズ
マトリックス レボリューションズ

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このあと2021年には、「マトリックス レザレクションズ」と続編も出てきますが
基本はその前の3部作で完結です。

真実を知らず仮想世界マトリックスで人生を送る主人公が、
外部からの介入により機械に支配された現実世界の救世主であることを知らされ、
自信が持てないまま様々な無理難題の解決を経て成長して行く過程を描いており、
当時ハリウッドで一般的でなかった哲学的要素や東洋的なワイヤーアクションやバレットタイムが導入された事で「驚異の映像革命」などと評された。

ウォシャウスキー兄弟が監督・脚本を務め、キアヌ・リーブス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス、ヒューゴ・ウィーヴィング、ジョー・パントリアーノらが出演。

Wikipediaより

監督は、ウォシャウスキー姉妹
もともとはラリー&アンディ・ウォシャウスキー兄弟と呼ばれていましたが、
ふたりとも性適合手術を受けて、ラナ&リリー・ウォシャウスキー姉妹に。

私は1999年当時から、今に至るまで大好きでそれぞれ10数回は
映画、DVD、そしてAmazonやNetflixで鑑賞しています。(合計すると延べ50回くらいか)

ただし、映像が凄いもののマトリックスという仮想世界と現実との関係性には、
わかるような、わからないような中途半端な気持ちがどこかにありました。

それが最近あらためてこの3部作を観ると、
仮想世界と現実世界のつながりがとても自然に思えることに気づいたのです。

今は、ラナ&リリー・ウォシャウスキー姉妹は天才に違いないとまで思うほどです。

なぜ私はマトリックスシリーズを観て、仮想世界と現実世界の切れ目に不自然さではなく、
この映画を水を飲むように自然に受け止められるようになったのか?

最近、それはAIにハマりすぎているから
という自覚をもっています(笑)

冒頭に述べたような「現実とはなにか?」が
AIの世界で考えると、もはや哲学に近くなってきて
これはヤバイかも、と思う次第ですがそのワケをお話したいと思います。

因みにマトリックスをご存じない方で、「AIにはすごく関心がある」方は
是非とも視聴をお勧めします。

この物語はすでにマシーン(AIが支配する)と人類の戦いが長い間続き、
その戦いを終わらせ平和を取り戻すという結末に至るのですが、
そのプロセス、要素が実によく考えられているように思えてなりません。

ウォシャウスキー姉妹が天才ではないかと言うのは、
マシーン(AI)の行き着く先まで含め実に説得力のあるストーリーと映像美により、
映画製作時点ではまだAIが世に生まれていなかった時代に予見していたように思えるからです。

人によって異なる「現実」

あなたは「現実」をひとつしかない、と思っていますか?
それとも、人それぞれに「現実」が異なるものだと思いますか?

この話を整理するには、解剖学者の養老孟司さんの講演が役立ちそうです。

皆さん方が現実と考えているのは、五感から集めた情報を長年、脳の中でこねくり回して、最終的に作り上げたひとつの世界の姿です。
私は現実をそう定義します。

そうしますと、皆さんが現実と考えているのは、皆さん方の脳が決めたある一つの世界です。

(中略)

じつは意識が感情と呼んでいるものは、最終的に重みをつけるわけであって、
最終的に重みをつけられた世界の姿を、私は現実と定義します。

普通、現実は一つです。
これが現実だと皆さん方は思い込んでおられるわけです。
それが人によって違う。間違いなく違う。

(中略)

これはうちの中でも全く同じです。子供が学生結婚したいと言い出す。親がどうやって食っていくつもりだと言う。今ならコンビニでアルバイトしても食っていけるというと、親がお前の考えていることは現実的ではないと怒る。

それは親の現実と子どもの現実が違うということであって、どちらの現実が正しいと言っているわけではないんです。

養老孟司「こう考えるとうまいく~脳化社会の歩き方~」

というように、「現実」とは実は人さまざま。

マトリックスの世界も電子的な仮想世界というひとつの現実と、
リアルな現実が交錯している不思議な物語ですが、
現実はひとつではないと考えると不思議でもなんでもないと受けとめられました。

AIが何を「現実」と認識するかで世界が変わる

少し前まで世界でAI技術の先頭を走っていたGoogleの検索エンジンも、
画像や動画をWebサイトに掲載してもその中身を自ら解析はできませんでした。

人が画像や動画についてのディスクリプションをつけて、
ああそうなんだなという理解の程度でしかありません。

つまり理解できたのはテキストのみだったのです。

ただし音楽は比較的早い段階で、判別ができていました。
例えばYouTubeなどで著作権侵害となるような音楽を使うと
早い段階で警告が出せる力をもっていたわけです。

なおYouTubeでの著作権侵害の判別する仕組みは
Content ID」と呼ばれています。

ここで「AI」のここ1、2年の進化に戻ります。

ChatGPTなどの生成AIの入力情報(学習・推論とも)は主にはネットにある
テキスト情報
でした。(過去形になりつつあるのが怖いところです)

これが今や各社しのぎを削っているのが
マルチモーダル化
です。

マルチモーダルとは入出力情報はテキストだけではなく、
音声、画像、動画
と複数のソースを扱えるという意味で、そのように進化しつつあります。

もともと人の脳の働きを模したのがAIですので、
そうなるのは必然とも言えます。

これは、人間にたとえるとまさに、
五感
です。

視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚のうち
視覚と聴覚をすでに獲得しつつあり、遠くないうちに何らかの方法で
フツーに味覚、嗅覚、触覚も手に入れるでしょう。

いえ、すでに各種のセンサーを使えば
味や匂い・臭い、触り心地・握り心地なんかも情報が得られるはずですので
五感を獲得する条件は整っていると言ってもおかしくありません。

五感をもとに、ひとそれぞれの現実が作られるならば、AIも五感を手にすると
AI自身が認識する現実もまたあって不思議ではない。

AIが世界はこうなっている、こうあるべきと認識しても
それはまったくの空想とは必ずしも言えないのです。

テスラやスペースX、Xなどの経営者であるイーロン・マスク
同時にChatGPTの創立者のひとりでしたが、その後外れています。

イーロン・マスクは世界最大規模でAIに投資している人でも有名ですが、
彼は早くから事あるごとに「AIが人類の脅威になる」と警告しています。

オックスフォード大学で「人類の未来研究所」所長であるニック・ボストロム教授は、
AIのアライメントができなければ、将来的に人間の知性をはるかに超えるAIが暴走し、
人類を絶滅させてしまう恐れがあるとずっと警告し続けています。

アライメントとは、AIの目的を人間(=開発者)の目的に一致させることを言います。

このボストロム教授の主張は誰にとってもわかりやすい。
AIの目的が人間の目的と合致しないと大変な不都合が起こることは容易に想像できます。

映画マトリックスでもターミネーターでもそもそもは
AIが人間を「敵」だという認識をもった現実から始まりました。
人間がAIのアライメントを行えなくなった姿です。

他の技術で数年先の話が、AIの世界では数週間先に起こっているような、
そんな感覚でAIの仕事をしているとつい哲学に結びついてしまいます。

おそらく、イーロン・マスクが言うように
「知性持つAIは下僕にあらず」
と徐々に思うようになっているせいかもしれません。

AIという「デジタル知性」とどう向き合うべきかを、
倫理面から検討しなければならないことを感じています。