この記事は、いわば最近観た映画のレビューになります。
最近といっても、現在上映中のものではなく、
2021年のアニメ映画で、細田守監督による
「竜とそばかすの姫」をAmazon Prime Videoで初めて観たという意味です。
せっかくなので、ちょっと風変わりなテクノロジー視点を入れてレビューしました。
2023年から、ChatGPTの公開を契機に爆発的な生成AIブームとも呼ぶべき現象が生まれています。
今まで「AI」についてその単語自体は知っていても、
「ふ~ん」以上には関心の無かった人にも浸透するようになってきました。
AIが世の中にもたらすメリットとリスクについても、
世界中で連日話題になっている状況です。
AIという技術は単独で存在しているわけではなく、
さまざまなコンピューティングテクノロジーと密接に絡み合って機能します。
例えば次のようなXRは代表的な技術のひとつです。
タイトルに含めたXR(Cross Reality)とは、ゲームなどでよく出てくる
・VR(Virtual Reality:仮想現実)
・AR(Argumented Reality:拡張現実)
・MR(Mixed Reality:複合現実)
これらを含めており、現実世界と仮想世界を融合して、
現実にはないものを知覚できる技術の総称がXRです。
数十年前の学生時代には脳のシナプス(神経細胞)への信号フィードバック理論の研究室で学び、
今、AIでも話題になっているディープラーニングにもどういうわけか10年少し前から関わり、
人間の脳を模倣した仕組みが骨格にある「AI」には何かとても不思議な縁を感じています。
そういったちょっと特殊な視点から、映画「竜とそばかすの姫」を観て、
そのポジティブな可能性に触れたいと思い記事にしました。
大賛否両論「竜とそばかすの姫」
国内ネットでは、この映画は実に喧々諤々の賛否両論ですね。
ネガティブな反応からいくと、シナリオが粗いとか、
ご都合主義ではないか、『美女と野獣』に似てる(パクリ?)、
メッセージが不適当(危険)ではないか・・・等々。
メッセージ性の話の一例ですが・・・
主人公である「鈴」の母親が増水で川の中に取り残された子供を救出しようとして
自らは助からなかったシーンがあります。
その時、安全な川辺にいた他の大人たちは何もしないただの傍観者じゃないか、
子供にこのアニメ見せるうえでそれでいいのかという意見。
ポジティブな反応例では、なんといっても圧倒的な映像美と音楽への評価が高いです。
もうただただ「感動の嵐」と言えます。
「竜とそばかすの姫」は、第74回カンヌ国際映画祭の
カンヌ・プルミエール部門に選出され大絶賛された作品です。
興行的にも、2021年興行収入66億円という大ヒットですので、
全体としてみれば圧倒的にポジティブな評価が高いものの、
細田守監督アニメへの期待値が高すぎるせいか、
まるで正反対の酷評もあふれかえっているという状況です。
で。。。
私は、2021年にもこの映画の存在は知っていながら当時は素通りしたのですが、
この映画で「大泣き」した知人の話を聞いて最近Amazon Prime Videoで鑑賞しました。
結果、大泣きの気持ちが十分に伝わり、存分に堪能しました(笑)
ただこの記事では、単にそのあたりをくどくど書いたところで仕方ありません。
私は、すべての映画はつまるところエンターテインメントであり、
そこには虚構が巧に混じっているからこそ映画として面白いと常々思っています。
そうでなければカメラを淡々と回し続け事実を紹介する
純粋なドキュメンタリー、むしろ報道、ニュースに任せるべきで、
これは映画のもつ魅力とは全然違う話となります。
さらに映画を観るとき。。。
そこに意識的な見方を加えるとさらに面白い。
ということを次に述べる伊藤弘了さん(映画研究者)から教えてもらいました。
映画の観方が変わる伊藤弘了さん(映画研究者)の本
「映画は見方が9割」と主張する伊藤弘了さんの本で、
今まで自覚できていなかった新たな見方が自分の中に生まれ、
それによってなぜか映画見たあとの充足感が何とも言えず
ますますいろんな映画を鑑賞したいと思うようになりました。
要するに、今まで以上に映画観るのが面白くなった、
という効能を実感できた書籍です。
映画の戦略的鑑賞法というアピールですが、
そのことによって生活、仕事にもプラス効果が出てくる、
こういうことはすべて気づきの連鎖だと思っています。
私はそもそも映画少年といってよいくらいに、子供時代からの映画が大好き。
今でも月に最低2回は映画館に行かないと気が済まないほどの映画フリークです。
しかも、あくまで映画館で観たい、にこだわる昭和生まれの映画ファン。
ともかくはその本、「仕事と人生に効く教養としての映画」がこれです。
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仕事と人生に効く教養としての映画
amzn.to
その伊藤弘了さんが「竜とそばかすの姫」について論評している
こちらの記事を読んで、そうだよね、そうだよねとこれまた深く同感したのです。
この後の話と関係しますが、伊藤弘了さんのユニークな見方について、
これだけでも面白いのでぜひ記事をご覧になってください。
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「『竜とそばかすの姫』は駄作ではない」と断言できる、巧みな“仕掛け” | Web Voice|新しい日本を創るオピニオンサイト
細田守監督の最新作、映画『竜とそばかすの姫』。本作の評価をめぐっては賛否両論が巻き起こっているが、映画研究者の伊藤弘了氏は、本作は決して駄作ではなく、見る価値のある作品だと評する。
shuchi.php.co.jp
緻密に計算され尽くしたビジュアルと音楽
さきほどの伊藤弘了による論評の中に、
特に印象的であり、思わず膝を叩いた部分がありました。
しかし、これもまた私が評価したいと考えているポイントとはズレています。
webVoice https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/8766より引用 赤字はKENBOによる注記
私は、映画の強みは映像と音響によってある事態を表現できる点にあると考えています。
『竜とそばかすの姫』の映像はたんに壮麗でピクチャレスクであるだけではなく(つまりミュージック・ビデオ的であるだけでなく)、
そこには映画的な視覚的モチーフの連鎖がたしかに息づいているのです。
この具体的な例として、「「U」をめぐる視覚的モチーフ」が続きます。
「U」とはこの物語ではインターネットでつながる仮想世界のことです。
「U」という文字を連想させるモチーフが至るところにちりばめられています。
例えばこちらの画像にある「月」の形が「U」に似ていますよね?
細田守監督がまさしくそうであることを、どこかのインタビューでお話されてました。
映画本編でこの「月」が登場する前後は、いわばハイライト、クライマックスとも言えるところ。
細田守監督も特に気合を入れて作りこんだとの話を雑誌で知りました。
主人公であるベル(鈴)が、この三日月に見入るシーンと音楽は何とも言えません。
私はこの月は、ブラックホールで登場する「事象の地平線」のようなものかなと受け止めました。
事象の地平線とは、光や電磁波で情報を知りうる境界線のことですが、
ベル(鈴)は「U」の世界で時間を超越した過去を見た、
その架け橋的な役目ではないかと思えたのです。
鈴が目を見開き、月を見入り・・・
川に取り残された子供の救出にいく母にやめてとせがむ幼かった自分、
そのことを思い出したというより、過去そのものを目で見たように思えるシーンです。
「月」が時空を超えて自分の最も愛する者へのよすがを垣間見せてくれた、
そういった印象を受けました。
なおここでも、『どういう理屈で過去が見えるんだ?』
という見方をしたらちっとも面白くありません。
伊藤弘了さんのコメントにあるように、
映像と音響によってある事態を表現できること、
この場合は視聴者へそう思わせる事態を表現できることが重要と思うのです。
このあとに続く映像と歌声もまた、すべてが
計算され尽くした美しく緻密な映像表現と音楽、そしてそのタイミング。
この計算はすべて期待以上の効果をもたらしたと思います。
「大泣き」した知人もタオルハンカチ必須!というハイライト部分です。
YouTubeにはBelle公式チャネルで、メドレーを楽しむことができます。
本記事登録時点ですでに1904万回以上再生されています。
このYouTubeでは3分5秒過ぎあたりからが物語のクライマックスになっていきます。
先ほどの「月」は3分58秒あたりに登場します。
なお、『美女と野獣』のパクリではないか?
といった論評もSNSで一部に見えますがまったく見当違いだと思います。
なぜなら、むしろ『美女と野獣』を目指しているといってもよいくらいです。
ご本人が"『美女と野獣』のモチーフをインターネットの世界でやる"と
宣言しており、その結果この作品ができているとみるほうが自然です。
また、『美女と野獣』のアニメーターや、『アナと雪の女王』のキャラクターデザイナーとの
出会いと積極的な活用から、パクリ云々という低次元な話に留まりません。
ネットや雑誌などでいろいろな記事をみると、細田守監督の
いわゆるディズニー愛が半端なものではないと感じるほどです。
キネマ旬報 2021年8月上旬号にあるインタビュー記事で、
細田守監督は次のように述べています。
元の『美女と野獣』は18世紀のフランスで書かれた作品であるにもかかわらず、
キネマ旬報 2021年8月上旬号より引用 赤字とドット線はKENBOによる注記
時代や場所を超えて作られ、そして観られ続けてきた。
それはなぜかと言えば、「人はどうすれば変われるのだろうか」
という普遍的で本質的なテーマを描いているからだと思うんですね。
だから僕も同じように『美女と野獣』を通じて、現代のネットの一般化した社会や、
その中で生きる人たちについて描くことが出来ると思ったんです。
私は「竜とそばかすの姫」でもこの普遍的テーマを扱っていると強く感じました。
次の最後のセクションでこのことにも触れたいと思います。
現実と仮想を「なめらかに」繋ぐのが「AI」の役割
タイトルで述べたAIとXRはどこにいったのか?
と思われたかもしれませんが、ようやくこの話に辿り着きました。
「竜とそばかすの姫」における「U」という仮想世界のことです。
それはインターネット上の世界ですが、そこに自分のアバターが存在し、
現実世界とボディシェアリングしつつ、現実ではできないことを表現できる世界です。
そのこと自体を、今あるテクノロジーをもとに理詰めで考えて
「おかしいではないか?」
と突っ込むことはもちろんできます。
ですが、そもそも技術的な理論や矛盾を追う映画ではありませんし、
映像と音楽で虚構でありながらも表現したいことが実現できている、
というのが映画の面白さなので、技術面の整合性は議論しません。
今、「U」という世界が現在に生きる私たちの普段の生活で
もし実際にあったらと仮定すると・・・
というお話になります。
思うに・・・
そこには前提として、すさまじいコンピューティング処理能力を持ったシステムがあり、
現実にはないものをあたかも知覚できる高精度でリアルタイム性を担保するXR技術があり、
これらを統合し、特にアバターが得る感覚などAIがあらゆる場面で活躍しているはず。。。
「U」というのはそのような驚異のプラットフォーム
だと想像できるのです。
ただしXRやAIは主役でもなく人間を奴隷にするわけでもない。
主役はあくまでも人間であり、それぞれの心。
AIに関して、最近は画像生成AIなどで知られているように
人が作ったのかAIが作ったのかを見破れないほどに高度化しています。
言い換えると、AIという技術は
現実と仮想の境界線がわからないくらいに
シームレスに繋げる技術でもあるいうことです。
あまりになめらかすぎて境界がわからない。
これは現実なの?それとも非現実、仮の世界なの?
というふうにAIは大得意になって動きます。
「U」という仮想世界で、「As」(=アズ。自分のアバター)が
現実として理解することにAIが大きく関わっているはずです。
この技術を悪用したのがディープフェイクなので、
まさに使い方次第であり表裏一体の関係です。
なお「竜とそばかすの姫」では、細田守監督の流儀とも思えますが、
テクノロジー(特にネット)と人間の関係を肯定的にみて表現しています。
この肯定的な視点が映画を見終わったときに、
一段と深い感動と希望をもたらしてくれます。
「人はどうすれば変われるのだろうか」
を追いかけた細田監督の思いを私は次のように受け止めました。
この映画はテクノロジーが人を攻撃するのではなく、
うまいこと共存しているという見方もできるのです。
テクノロジーが人にとって
自分を再発見する、あるいは
本来の自分を取り戻す
ための場(プラットフォーム)を提供する形で共存している。
その結果として、現実世界に生きる人が成長する機会を作っている。
そんなふうに考えると、AIも捨てたものではないな・・・
と思わせてくれる映画でした。
最後に・・・
「竜とそばかすの姫」と細田守監督にリスペクトを込めて・・・
私の唯一の後悔は、映画館で観る機会があったのに行かなかったことです。
もしこの先、映画館で再上映がどこかであれば、
絶対にでかいスクリーンで観て「大泣き」したい、です。