文具

男のシステム手帳④~「人生で起きていることはすべて正しい」今も生かされているという思い

2025年2月3日

この記事は、私の手帳にここ何年間か目立つところにメモしていることをうだうだと書いています。
いわば雑文だと最初にお断りしておきます。

きっかけは私の商品及びご紹介している商品のご購入者とZOOM対談中に、
「KENBOさん、実は僕もシステム手帳持ってて記事を楽しみにしてます!」
と言われて、調子に乗ってパラパラと現物をお見せしたことに始まります。

ある仕切りページに書いてることに、
「なんですかそれ?」
となったことからご紹介した話と同じことをここに話しています。

うまくいくことより、うまくいかないことのほうがはるかに多い自分の人生で、
たどり着いている一種の境地のようなものです。

「人生で起きていることはすべて正しい」
というと、そんなわけない!
とお叱りを受けることもわかっています。

それでも年齢を重ねるにつれ、そのように思うことが増えてまいりました

システム手帳とは直接関係の無い話題ながら、毎日何度も開き書き込む
My手帳なので必ず目に入ります。
システム手帳に書いてあるからこそ、毎日気持ちを奮い立たせているとも言えます。

個人的な事柄ながら、どなたかのお役に立てれば幸いです。

「その筋の人」に拉致監禁されたこと

そもそも人生、順風満帆で何の不満も不安もなく楽しく過ごしている、
と言える人はほとんどいないんじゃないかと想像しています。

私自身は、どちらかというと貧乏な家庭で高校時代まで過ごしその後、大学へ行くため
下宿(古い時代なのでアパートではなく大家さんのいる家で間借り)始めたころ、
さぁこれからどんどん自分の未来が開けていくぞ!とワクワクして仕方なかったのですが。

その後、母親が急死し、アルバイトを増やし(日雇い土方と家庭教師)学校へ行き、
なんとか卒業、普通にサラリーマン勤めを始め、やがて結婚し子供ができ・・・
それでもまだここだけ見るとなんの変哲もないですね(笑)

大きな会社を辞めて、友人と独立しベンチャー企業を始めたはよいけども
何年か経ち、資金繰り悪化でバブル崩壊時に倒産しました。

子供はまだ小さい頃でしたので、お先真っ暗でしたし
当時は今の時代と違って「その筋の人」から債権取立のため監禁されるほどでした。

なぜ「その筋の人」から債権取立のため監禁?
って意味が伝わりにくいので時代背景と当事者ならではの言葉で補完しますね。

先に言っておきますと、この時代はまだ
コンプライアンスなどというような高尚な言葉は世に無く、何でもありでした。

企業の倒産は法的には裁判所へ申し出て受理され成立します。
いわゆる手形の不渡りで銀行決済(支払い)ができなくなるのは銀行の営業時間終了時点です。
もはや企業として機能しなくなっていますが、まだ法的には存在しています。
その瞬間から、裁判所に届け倒産認知されるまでの間はいわばグレーゾーンなのです。

どういう意味かというと、会社の資産が中途半端に誰のものでもないような時間帯があるのです。
「その筋の人」はプロなのでそのグレーゾーンを狙います。
もちろん債権者の誰かに頼まれてそうしてるわけですけど、会社が誰のものでもない隙間時間を狙い
残された現金やその他の資産を無理やり奪い取ろうとするのです。

当時は携帯電話もない時代でしたので、銀行が閉まる15時直後から
債権者からの電話が会社中でやむことがありませんでしたが、
ドアをバールでこじ開けて入ってきたのがくだんの「その筋の人」たちでした。

まるで昔からあるヤクザ映画じゃないかと思われたかもしれませんが、
現実そのものであり、私も経営層だったため拉致・監禁されたわけです。
このまま雲隠れは許さないということですね。

今夜ここでこの人たちによって人生終わるのかな。。。
家族や残された父親には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
監禁された部屋でぼんやりと、自分の情けなさを思うばかりでした。

その後解放されましたが、心身のストレスがその後に出て体調を大きく崩した時期もありました。
ただ幸いにも健康も回復し、サラリーマン時代に起こり得る最悪のケースを経験したことで
いわば怖いものはもう無い、という開き直りに至ったことが少しだけ強くなった気分でした。

ネットでなんとか頑張ろうと思ったのは、その後勤めた会社での給料だけでは
倒産による返済もままならず、企業の歯車だけでもがく限界を思い知らされたからでもあります。

その後はネットをやりつつも、再び企業との関係も続き、
今はどういうわけか複数企業との契約を結び、いわば「複業」状態となりました。

Myシステム手帳で心をシャキッとする

こちらの画像は私のシステム手帳に書いて眺めているしおり部分です。

左側にある「寂光院」は京都大原に行ったときの記念を貼り付けていますが無視してください。
見ていただきたいのは右側の手書き部分です。

倒産により拉致監禁という事態を受け、その後の生活も一時真っ暗。
こんな状況で「人生で起きていることはすべて正しい」などと
うそぶいている余裕は当時は一切ありませんでした。

自分の生き方は失敗だった。
なんで最初に勤めたあの会社を辞めてしまったのか。
もうだめだ。。。

そんな思いで心も潰れそうな日が続きました。

なぜか『生かされている』から

しかし先ほど述べたように「その筋の人」に監禁されても、その後誰かが助けてくれました。

少年時代には近所の山で友達が作った弓矢が目に刺さりました。
運が良かったのか目に直撃ではなく、瞼の隙間に刺さったので失明を免れキズも治りました。

なぜか、ご先祖様が守ってくれたのではないかと子供ながらに思ったものでした。

社会人になり失敗したプロジェクト、お客さんに蹴られた提案は無数にあります。
もうダメだ、これほどバカにされ、こんな成果ではもう辞めるしかない。。。
という立場にさらされた経験も一度や二度ではありません。
しかし、潰れたプロジェクトではなく別のプロジェクトに進むとそちらが軌道に乗りました。

とても嫌な奴だなと思って、その職場では働きたくないと思い込んでいたら
あることをきっかけに一番の仲良しとなり、苦労を共にでき尊敬できる相手となりました。

そうこう考えていると、結局自分が失敗した、思うようにいかなかった、
と心が潰されそうな思いになっていたのは本当に不運だったのだろうか?
と思い始めたのです。

なにより、今もこうして息をしてなんとか生きている。

失敗だと決めつけていたことは、その後すぐにではなく何年か経って振り返ると
その時の状況はまんざらでもなく、なんとかなっている。

結局のところ今も生かされている自分の生き様は、
「人生で起きていることはすべて正しい」

という視点で逆算してみると(=今の状況から過去に起きたことを振り返ると)
当時失敗と思っても、そこからさらに悪い結果を生み出しているよりも、
なんとなく成功とは言えないまでもなんとかなっている現状は
素直に肯定すべきではないかと思うようになったのです。

そう思うとますますそのように思える事柄が多々あり、
もっとのんびりと捉え、なるようにしかならない、と割り切って
全力で今できることをするだけ、という処世訓に至っています。

ここまで長々と書きましたが、そのことを毎日忘れないように
思い出させてくれるのがMyシステム手帳というわけです。

革製のシステム手帳は不思議です。
素材としては時間の経過とともに古びていってるのに、
魅力は時間の経過とともに増していきます。

また手書きでいつも眺めるところに大事なものがある、ということはやはり大きいです。
実際のところ、生成AIがはじき出したアウトプットをいくら並べてもこうなりません。
(AIには感情など自我がありませんので、そのアウトプットは人間ならではの苦労を伝えられません。)