日記

「宇宙はどうして始まったのか」から相対性理論と量子論と宇宙論で坂田智康を読み解く

2015年3月15日

ビッグバン理論

なぜ「宇宙」の話?

当ブログは、管理人KENBOの視点でコンテンツ教材の考え方やレビューを綴ったものであり、
およそ「宇宙」がどうのこうのという話は最も縁遠いところにあります。

それでもあえて、こういった話もたまにはよいではないかと考え
読者さんのあたたかい眼差しに包まれ、ややこしい物語を始めようとしています。

因みに私がこのブログで師匠と呼んでいる坂田智康氏も実は、こういった
深淵且つとりとめもない事柄の研究、摩訶不思議な世界の研究が大好きなようで
たまにそういった取り組みや知識を知る機会もあります(笑)

私は持論として、ネットビジネスで(これに限りませんが)持続的な収益化を
目論むなら誰しも欠かすことのできない通過点があると考えております。

それは深い思考レベルのさまざまな「気づき」のことで、この気づきが点として
起こるだけでは弱いのですが、たくさんの点がつながり面になるとかなりワクワクします。
これが通過点ですが、こういった考え方を深く確信できたのも坂田智康氏との
出会いがきっかけであると思っております。

そのとき思考や発想の飛躍が生まれ、今まで見えていなかったこと、思い込みなどが
溶けて新たな地平線が目の前に拓けるということを経験的に理解しているのです。

要するに昨日の自分よりは少し賢くなるわけでして、その繰り返しと蓄積が
自分流の収益モデルの発想や実行につながっていると感じております。

で、くどいようですがこれはネットビジネスに限ったことではありません。
普通に考えても日常のあらゆる場で通じる話です。

私は宇宙の専門家でも何でもありませんが、この記事は宇宙物理学者の松原隆彦氏の著書である
「宇宙はどうして始まったのか」(光文社新書)
を題材にこの本が私の頭のサビを落としてくれたことをご紹介するものです。

かなりスッキリした思いがありますので、今この記事をお読みのあなたと
共有できたら幸いです。

宇宙のことがスッキリしたのではなく、今までモヤモヤしてどうにもこうにも
消化不良の状態から、どのように考えればよいのかということがスッキリした
という意味です。

ビッグバンの始まる前はどうだったのか?

前置きが長すぎました・・・実は宇宙の話でイマイチというかさっぱり
理解できずにずっともやもやしていたテーマがありました。

ビッグバンというやつです。

宇宙は今から138億年前に始まったという物語のことです。
初期に大爆発があって、それで宇宙ができたという流れをどこかで
聞いて知っている人がほとんどだろうと思います。

最初は火の玉のようであり、その勢いで宇宙は膨張し続けて
その後少しずつ冷えてきて、138億年かけて今のような状態になっている
・・とこのことを想像できる人がいれば聞いてみたいと思うような話です。

で、このいかにもまことしやかに語られているビッグバン理論(正しくは、
標準ビッグバン理論というそうです)ですが・・・

私の素朴な疑問は、素朴過ぎているかもしれませんが・・・

それだったらそのビッグバンなるものが始まる前ってどうだったの?

『始まる』ってことはそこが起点だとして、ではその前になんかあっても
おかしくないよね、という話です。

神は7日間で天と地を作ったという話がありますよね。

ではその7日間の前、神は何してたの?

という神を恐れぬ疑問でして、実はこういう疑問を抱く輩のために
『地獄が用意してある』となるようです(^^;)

それで、松原隆彦先生(名古屋大学大学院理学研究科・准教授)によると
ビッグバン理論というのは、その前を説明できないそうです。
(前というのがあるとして)

ただここにきて、宇宙はすさまじい勢いで精度高く観測ができているようで
精密宇宙論というべきものらしく、、、それこそ小数点以下何桁も細かく
諸現象が計測できる時代になっているようです。

松原先生によると・・・
ビッグバン理論というのは一旦それを前提として受け入れてしまえば
実に精度よく今まで観測された事実がこれ以上ないほどうまく
説明できるとのこと。

そうだったのか!と思わず口にしてしまいましたね。
宇宙物理学者はそういう割り切りをしてるのね!?と。。。
先端をいく専門家たちがそうであれば、完全ド素人のKENBOも
そうするしか道はありません。

つまり、ビッグバンという何がしかの出来事があったとして
私たち人類の生きている地球はそのビッグバンを起点として存在し
宇宙のいたるところを観測すると、ビッグバンがあったとして
データを眺めてみるとことごとく空恐ろしいほどにマッチしている
ということだそうです。

まぁ、とりあえずその標準ビッグバン理論を受け入れてみましょう。

因みに「宇宙はどうして始まったのか」には数式が一切ないです。
数式が全くなくても説得力に満ち溢れています。

それと松原先生の語り口にはどこかシニカルなユーモアがあり、
なんというか作家で元お茶の水女子大学名誉教授の土屋賢二さん
のそれとなんとなく通じるものがあるくらいにオモシロイです。

諸行無常

この言葉は、平家物語でも有名ですね、冒頭から出てきます。
『祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、 唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、 偏に風の前の塵に同じ。』

まさかこの仏教用語が最先端の宇宙論に出てくるとは
想像すらできませんでした。

宇宙は膨張している・・とビッグバン理論ではそうなっているのですが
このことは宇宙は同じままではない、ということの裏返しになります。

宇宙は変わらず永遠にそのままである、というのが定常宇宙論と
呼ばれるそうで、あの天才:アインシュタインでさえ定常宇宙論を
ずっと支持し続けたということです。

ただ皮肉なことに彼の一般相対性理論は、
実はそうではないということを予言していました。

諸行無常のごとく、始まりがあれば終わりもあるということです。

で、あなた想像できるでしょうか?
その宇宙の始まりとか終わりとかを・・・

世の中には永遠のものは無いのだから、せめて宇宙くらいは
永遠不変の存在であってほしいと願うばかりですが
それさえ叶わぬ夢のようです。

ただ、この諸行無常であるということも一旦受け入れてしまえば
いろいろな事実が示す解釈を無理なくできるようです。

まぁそれがわかっただけでも、私も楽に感じましたね。
諸行無常であって始まりとか終わりとかあって、自然にその前後は
どうなってるんだ?と疑問を抱くのは素人だけではないようでして
でもわからないものはわからない、ということを専門家が
しっかり言ってくれるだけで随分とモヤモヤが溶けました。

雑誌ニュートンを読んだときも、ビッグバンの図解がふんだんにあって
それはそれで分かりやすいと思ったのですが、
ではなぜビッグバンが始まったのか?
膨張しているならその外側はどうなっているのか?
などというとりとめのない次々と湧いてくる疑問に対して
直観で理解できる説明はどこにもありません。

そのあたりの思考の壁にぶつかる人を想定した解説が実にうまいです。
このような小難しい新書本を何度も読み直すことは普段ありえませんが
この「宇宙はどうして始まったのか」は3回ほど読み返しました。

単純に読み物としてもとてもオモシロかったです。

相対性理論と量子論と宇宙論が数式なしでなんとなくわかる

数式が一切出てこないことは前述したとおりです。

(一般)相対性理論は重力を扱った理論です。
ニュートン力学で物体はお互いに引き寄せられるという
引き寄せの法則ではありませんが、そこに働くのが重力であって
アインシュタインがスターダムに乗ったのは、この重力の解明が
あったからだと言われております。

相対性理論による重力とは、実は時空間のゆがみです。
といっても、はぁ?となるのが目に見えておりますし
その解説をするのがこの記事ではありませんので、そういうことに
しておいてください。

で、この相対性理論はミクロな世界で通じる量子論とは
非常に相性が悪いようです。

なんとか論とたくさん出てくるのですが、この本で理解できたのは
物理学というのは数学で表現される近似の学問であるということですね。

例えば私たち人間のスケールでは、地球上ではニュートン力学が
そのまま使えますね。

野球でピッチャーの手元を離れたボールは、初速ほかの初期条件さえ
決まっていれば風などの影響はあっても、法則に従ったまま
キャッチャーに向かいます。

手元を離れた瞬間から、ピッチャーはコントロールできないけども
物理法則に100%従い、これだけみるとまるで物理学は
最高の予言者であるかのごとくです。

こういった場で、相対性理論の説く時空間のゆがみは
無視できるほど小さいので話題になることはありません。
もちろん量子論もです。

量子論がなにかを説明することはとても難しいのですが、
松原先生の喩えを活かしてお話すると・・・

あなたが昨夜東京駅から新横浜駅に向かったとしてそのルート
を思い出してみましょう。

行き方はいろいろあります。
新幹線で品川経由で行ったというのから
東海道線で乗り換えて行った
京浜東北線から横浜線に乗り換えて行った
タクシーで行った
・・・とかもう限りなく可能性がありますが、選択したのは
ひとつであり、それ以外は無いわけです。

つまり新幹線使いながらも、タクシーで行ったなどということは
あり得ませんね、私たちの常識では。

ところが量子論によると、途中どういうルートを通ったのかが
特定できなくなるようです。
あたかもすべてのルートを通ってきて、あるルートを通るのは
確率でしか語れないと。

新幹線で行ったと同時に、タクシーでも他のJR線でも地下鉄でも
すべてがありえると、真顔で人前でしゃべると
そのまま病院送りになります。

こういう摩訶不思議な世界をそのまま頭にイメージできる人は
とてつもなく頭が良いか、もしくは
最初からリミッターが無い素敵な人に違いありません。

で、その量子論なくしてはこの広大な宇宙も語れないとの
話になっていくわけですが、ど素人の私にもそれなりに
そうなんだ~そうやって考えるとスッキリはしないものの
わからないことで自分自身を苦しめることはなくなったなぁ・・・

というのが率直な感想です。

相対性理論と量子論、宇宙論による悪魔の立証によって
知らないことが明らかになったのではなく
わからないなりにどのように考えると物事を理解できるのか?
を教えてくれたように思います。

この点で、めちゃめちゃ頭の中が整理できた気がしており
非常に秀逸な書籍であると推薦できます。

因みにタイトルに書いた、当ブログにもたびたび登場している
師匠(坂田智康)の頭の中は、こういったレベルの話も
理路整然と整理されているに違いないと思うことが多々あります。

いずれにしても、自分自身の思考を縛っていたものが、
プツンと切れたような印象でして、
この本だけで気づき力アップにつながると確信できたからこそ
ここでこのとんでもない話題をご紹介させていただきました。